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就任年 | ウィメンズ | メンズ |
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1923~1988年 | グッチ一家 | |
1989年 | ドーン・メロー | ドーン・メロー |
1990~1993年 | トムフォード | ドーン・メロー |
1994~2003年 | トムフォード | トムフォード |
2004年 | アレッサンドラ・ファキネッティ | ジョン・レイ |
2005年 | フリーダ・ジャンニーニ | ジョン・レイ |
2006~2014年 | フリーダ・ジャンニーニ | フリーダ・ジャンニーニ |
2015年~現在 | アレッサンドロ・ミケーレ | アレッサンドロ・ミケーレ |
グッチのブランドは、1923年にオープンした旅行カバンと馬具のお店がルーツとなっています。
グッチブランドの生みの親であるグッチ一家は、創業当時からバンブーやビットモカシンなどの名作を次々と生み出しました。
このバンブーやビットモカシンは現在でも人気が高く、ブランドのシンボルにもなっています。
創業以来、グッチは順調にブランドとしての地位を確立することができました。
しかし1989年には不況の影響もあって、グッチブランドがグッチ一家の手から離れることになります。
グッチ一家による経営が終了した後、グッチではドーン・メローを迎え入れました。
このドーン・メローは、短い間ではありましたがグッチのデザイナーとなり、のちにトムフォードをクリエイティブディレクターとしてグッチに引き入れました。
不況やブランド人気の低迷に苦しんでいたグッチの救世主となったのが、トムフォードです。
トムフォードはドーン・メローの推薦によってデザイナーに就任し、次々と名作を生み出していくことになります。
トムフォードのデザインは、これまでのグッチの印象を大きく変えることになり、一貫したデザインであることからフォードスタイルとも呼ばれるようになりました。
トムフォードは、これまでにもグッチで販売されていたバックパックをリメイクして大ヒットさせるなど、グッチ人気の復活はトムフォードによって成されました。
またトムフォードはデザインしたアイテムを披露するファッションショーでも、ミュージカルのような演出をするなど、顧客の心をつかむのが得意でした。
アレッサンドラ・ファキネッティは、2000年からトムフォードの傍らでデザインディレクターを務めていました。
アレッサンドラ・ファキネッティは主にレディースのラインを担当しており、女性に支持されるデザインを発表していました。
スコットランド出身のジョン・レイは、たった数シーズンでしたがメンズラインのディレクターを担当していました。
そのデザインは人気が高く、グッチのディレクターを退任した後も、さまざまなブランドで活躍しています。
フリーダ・ジャンニーニは、就任当初はアクセサリーのデザイナーを担当し、グッチ初の香水をプロデュースするなどの活躍をしていました。
その後2006年には、全ラインのクリエイティブ・ディレクターを担当しました。
フリーダ・ジャンニーニはデザイナーとして精力的に活動し、さまざまなデザインを発表していましたが、2015年にはクリエイティブ・ディレクターを退任することになりました。
退任にあたっては、後継者としてアレッサンドロ・ミケーレが指名されました。
アレッサンドロ・ミケーレは、2015年からグッチのクリエイティブ・ディレクターに任命されました。
アレッサンドロ・ミケーレは、トムフォードからも目をつけられ、2002年にはグッチに入社していました。
そして2006年にはデザイン・ディレクター、2011年にはアソシエイト・クリエイティブ・ディレクターとデザイナーとしての経験を積み重ね、2015AWにクリエイティブ・ディレクターとしてデビューすることとなりました。
このアレッサンドロ・ミケーレのデビューは大きな衝撃であり、グッチの斬新なデザインを生み出すことに成功しました。
現在もアレッサンドロ・ミケーレはクリエイティブ・ディレクターを務めており、新生GGロゴなどの名作を数多く生み出しています。
この記事を書いた人
代表取締役 久保
ブランドハンズの代表取締役社長
ブランド買取業界歴10年
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